銀の馬車道―日本初の高速産業道路 兵庫県・生野〜姫路(飾磨港)までの銀の馬車道
(姫路城・柳田國男生家・リフレッシュパーク・ヨーデルの森・生野銀山)
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「銀の馬車道」とは?
“GIN-NO-BASHAMICHI” ABOUT
「銀の馬車道」は、明治の初め生野と飾磨港の間、約49kmを結ぶ道として新しく作られ、正式には
「生野鉱山寮馬車道」と呼ばれた、当時の高速道路というべき馬車専用道路です。
完成から約130年がたった今では、道の大部分は車が走る国道や県道に変わり、
一部は新幹線姫路駅になっています。
しかしながら、「銀の馬車道」のルートをたどれば、あちらこちらに記念碑などがあり、
往時のおもかげを残しています。
豊かな暮らしを夢み、ファイトを燃やした昔の人たちの気持ちになって、
「銀の馬車道」をたどってみませんか!
現在も残る銀の馬車道(神河町杉地区)
現在も残る馬車道
(神河町吉冨地区)
銀の馬車道全図
(兵庫県・朝来市生野町、神河町、福崎町、市川町、姫路市)
@旧鉱山寮生野支庁A盛明橋B生野峠C観音橋D屋形地区E辻川地区F西光寺野の人参役所跡G馬車道修築碑H姫路市内I姫路駅J飾磨街道K飾唐津物揚場(飾磨港)
「銀の馬車道」実感ルート
1旧鉱山寮生野支庁
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2 盛明橋
(市川を西から東へ渡る。
橋の名称は、当時の鉱山長、朝倉盛明に由来)
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3 生野峠
(当時は坂をなだらかに上下できるようS字カーブに)
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4 観音橋
(神河町、市川の支流“越知川”を渡る)
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5屋形地区(市川町)
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6辻川地区(福崎町)
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7 西光寺野(さいこうじの)の人参役所跡
(姫路市船津町)
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8 生野橋
(もう一度市川を東から西へ渡る。
現在の橋は3代目で当時より上流部に設置)
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9馬車道修築碑(市川右岸)
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10 姫路市内(旧城下町へ)
(現姫路駅で大きく西に曲がる)
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11飾磨街道(亀山本徳寺前などを通る)
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12飾唐津物揚場(姫路市飾磨港)
銀の馬車道の断面図(池谷春雄氏作図) 1873年(明治6年)7月、生野鉱山長だった朝倉盛明とフランス人鉱山師フランソワ・コアニエが選んだ技師レオン・シスレーを技師長として「銀の馬車道」の工事が始まりました。
道路を水田より60cm高くし、 あら石、小石、玉砂利の順に敷きつめる技術は「マカダム式」と呼ばれ、当時のヨーロッパの最新技術を導入することにより、雨等の天候に左右されず、馬車がスムーズに走行できる工事が3年がかりで行われました。
この馬車道により、物資を非常に早く輸送でき、生野から飾磨港までの輸送経費が8分1まで低減したと言われています。
@目つぶし砂利/1p程度の豆砂利と砂
A表層部/3p程度の小石、厚さ15〜20p
B路盤部/耕土取り除きの上、土砂混り粗石
C水田より60p高くする
明治時代に使われた「馬車」
銀の馬車道を走っていた馬車(近藤喜久子氏作図) 当時の馬車は木製の2輪車でした。積み荷も少なく、荷台の先にカジ棒をつけていたので四つ角では大回りをしなければ回れませんでした。

@車輪/樫の木製:径約1m(接地部は鉄板)
A車台/樫の木製:長さ3m、巾1m
B木枠/取外し可能:長さ2.5m、巾0.9m
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