銀の馬車道―日本初の高速産業道路 兵庫県・生野〜姫路(飾磨港)までの銀の馬車道
(姫路城・柳田國男生家・リフレッシュパーク・ヨーデルの森・生野銀山)
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沿線寄り道スポット【生野】
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生野町は、古くから生野銀山を中心として栄えた町です。
特に明治期には西洋技術を全国に先駆けて導入、日本を代表する鉱山となりました。
坑道跡や生野銀山の精錬所をはじめとして、洋館や鉱山官舎(社宅)、トロッコ道や水路などの貴重な産業遺産もあります。
また、鉱山町独特の落ち着いた街並みや、江戸時代の郷宿(庄屋のようなもの)を保全修築した生野まちづくり工房「井筒屋」などを活かしながら、「銀谷まつり」や「銀谷のひなまつり」の開催など、住民が主役となった味わい深いまちづくりが展開されています。
史跡生野銀山
史跡生野銀山 リンク 地図
生野銀山は、大同2年(807)に開坑したと伝えられています。
織田、豊臣、徳川の幕府直轄鉱山として栄え、明治元年(1868)には政府直轄となり、
その後は皇室財産にもなった大鉱山です。
昭和48年(1973)に閉山しましたが、実際に掘られていた坑内に入り、当時のままの岩肌や、
電気仕掛けの人形により再現された作業風景ををみることができます。
また、坑道などを案内するボランティアガイドの説明もあります。
旧生野警察署(市指定文化財)
旧生野警察署(市指定文化財) 地図
異人館をまねた左右対称の擬似洋館風建築です。
地元の大工、杉浦嘉作と坂井利平が洋館を模して建築し、明治19年(1886)に竣工しました。
正面の軒瓦下には警察の紋章と生野の旧町章が残されています。
現在は、地域の公民館として活用されています。
生野まちづくり工房 井筒屋
生野まちづくり工房 井筒屋 リンク 地図
幕府直轄領として形成された銀山町独特の生活文化を伝える、国登録文化財です。
代官所から採掘権を与えられた吉川家が代々営んできた「郷宿」で、江戸からの巡見使など要人が泊まった記録も残っています。 平成11年(1999)に吉川家から土地・建物等一式が旧生野町に寄贈され、平成15年(2003)に改修されました。 まちづくりや特産品作りなどの住民活動の場として地域住民だけでなく、広く一般に開放されています。
いろりのある部屋、書問部屋など今では珍しい建物であり、また、内蔵に吉川家から寄贈された資料や「出世すごろく」など、貴重な品々が展示されています。
史跡生野銀山
トロッコ軌道跡 地図
鉱石や物資を輸送するため大正9年(1920)に建設された電車(トロッコ)専用道は、生野鉱山本部〜支庫(旧生野駅)間の軌道のうち、姫宮神社周辺の市川右岸に面影を残しています。
生野代官所で使われていた石垣の石が市川沿いのトロッコ道に転用されており、連続したアーチは土木遺産として専門家の間で高い評価を受けています。
旧鉱山官舎
旧鉱山官舎 地図
官営生野鉱山に勤務する官吏のため明治9年(1876)に建てられた官舎が、国道429号沿いに4棟現存しています。
白漆喰の土塀、生野瓦が使われた屋根、西洋と和の融合した建築様式であり、口銀谷の町家とは異なる趣です。
生野書院
生野書院 リンク 地図
古民家を改修し、平成4年(1992)に開設された生野書院では、古文書や書画を通じて生野の歴史を知ることができます。
生野代官所や「生野の変」に関する史料を公開する展示室や陶芸室、和室などを備えています。
銀山まち口番所
銀山まち口番所 リンク 地図
平成15年に生野の商人が集まって楽しい店舗をつくりました。
店内には、生野の商品のほかに、鉱山でまちが賑わっていた頃に使用していた道具なども展示しています。どれもこれも懐かしいものばかり。当時のハイカラな品物や昔の看板などが並んでいます。
町なみ散策のお休み処として、お気軽にご利用下さい。
寺町界隈
寺町界隈 地図
全国から労働者が集まったことなどから、宗派の異なる8カ寺が連なる寺町が形成されました。
東端にある本行寺は美しい石垣の禅宗の寺で、瑠璃色の山号額が来訪者の目をひきつけます。
中央の教徳寺は石段と擁壁のカラミ石が土壁の壁面と美しいコントラストを見せています。
但陽会館但陽美術館
但陽会館 リンク 地図 ・但陽美術館 地図
近代日本洋画の先駆者、生野三巨匠(白瀧幾之助、和田三造、青山熊治)をはじめとする画家の作品が展示されています。
【問い合わせ先】  但陽信用金庫生野本部
  お問い合せ先 079-679-2253 料金:無料 *要予約
(株)SUMCO生野クラブ
(株)SUMCO生野クラブ 地図
明治19年に当時の大山師*の邸宅として建てられました。
明治21年に有栖川宮熾仁親王が宿泊された部屋も現存しています。
三菱全盛期には企業の迎賓館として利用されました。
*山師とは、江戸時代に代官所から採掘権を与えられた鉱山経営者のことで、経営規模の大きい山師を大山師と呼んでいた。
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